施設案内

港文館(旧釧路新聞社)見取図

 港文館は明治41年に建造された旧釧路新聞社(現北海道新聞社)社屋を復元したものです。石川啄木はこの年の1月21日釧路に着き、そして76日間記者として新聞社に籍を置いていました。

 社屋は、当時、東北海道唯一の煉瓦造りで、啄木が友人金田一京助宛の手紙に「小生着釧の翌日、社は今回新築の煉瓦造りの小さいけれど気持ちよき建築へ移転仕候…」と紹介されていました。

 この社屋は新聞事業法で北海道新聞釧路支社となり北大通に移転後、昭和40年に取り壊されました。その時残された図面をもとに、平成5年5月31日に釧路市大町2丁目に復元されました。

 旧社屋では1階入って右に事務室、左に宿直室、奥に工場となり、2階は登って右に応接室、左に編集室となっていました。


現在展示している啄木資料など

港文館にて展示している啄木馴染みのしゃも寅を再現しています。
啄木が釧路にて知り合った知人や手紙等、当時の釧路の資料も置いてます。
釧路市内にある啄木の歌碑等、啄木に関する資料があります。
この写真は啄木が編集者として活動した赤煉瓦の釧路新聞社である。
この写真は啄木が釧路で写した唯一の写真(明治41年2月21日撮影)。
小柄な啄木(後列左から8人目)が大きく見えるのは、わざと高い台に乗り身を誇張したためと思う。
こんなところにも啄木の負けず嫌いで見栄っ張りな性格が出ている。

新婚時代の啄木と節子夫人(明治37年5月盛岡にて撮影)